七世紀初め、ボヘミア・モラヴィァ一帯のスラブ人は、モンゴル系騎馬民族のアヴァール族に圧迫されていた。そこでメロヴィング朝フランク王国のダゴベルト一世〔東分国王として在位さ三’六三八年〕は、六二三年ごろ商人サモを派遣して、アヴァール族に対するスラブ人の抵抗運動を指揮させた。これが功を奏し、戦勝後サモはスラブ人たちの王に祭りあげられた。すると今度はダ零コベルト一世がサモの国をつぶそうとして軍隊を派遣したため、六三一年から翌年にかけて、ボヘミア北部のヴォガスティスブルクで戦闘がくりひろげられた。サモはこれにも勝ち、王国はぶじ存続することができた。けれども六六○年ごろサモが没すると、急速に崩壊してしまったという。一説によればサモ(留日○)は人名ではなく、「私自身」という称号だった。これは当時にあっては「小王」をさすとともに、民から選ばれた「独裁者」をさしていたらしい。ロシアの重要な作曲家ポロジンは、本職は化学の教授だった。ロシァ生れのアメリカ作家ウラジーミル・ナボコフは、文字の順序を入れ替えて自分を作中に何度も登場させている。たとえばヴィビアン・ダークブルーム、ヴィヴィアン・ブラッドマーク、ヴィヴィアン・カームブロッド、ヴィヴィアン・ダモアⅡブロック、クリム・アヴィドフ男のように。ハンガリー盆地をハンガリー人はカルパチ盆地という。ここにスラブ人が移住してきたのはいつのことか、厳密には確定できない。ただし三七五年ごろ、アジアのフン族が来襲してきたため、スラブ人もこの地へ逃れこんだことだけは確かである。というのも、その後五六七年から五七○年にかけてアヴァール族が支配しはじめたとき、スラブ人はすでに居ついていたからだ。ハンガリー人の祖先であるマジャル人が南ロシアから移住してきて、この地を占拠したのは九世紀末だが、そのころにはスラブ人が先住民としてかなりいた。現在のハンガリーの地名が相当数、当時のスラブ人の言葉に由来するのも、そのせいである。